■1日目
日本出発 → ウィーン着
航空機にて日本を出発。ヨーロッパ都市経由ウィーンへ。
ウィーン到着後、現地側の出迎えを受け専用車にてホテルへ。
■2日目
ウィーン滞在
午前中ウィーン市内半日観光
リンク通り、ホフブルク宮殿、オペラ座、シュテファン寺院、フィガロハウス、市庁舎、シェーンブルク宮殿などを見学。
ヨーロッパの中でも素晴らしい首都のひとつであるウィーンは何世紀にも渡りオーストリア・ハンガリー帝国の君主ハプスブルグ家の故郷でした。帝国の崩壊から今日まで長い年月を経てはいますが、伝統を愛するウィーンの人々により守られ続けられている帝国絶頂期の面影が多く感じられます。
また18世紀末からのウィーンの文化、とりわけ音楽は、ヨーロッパの中でも群を抜いています。ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブラームス、シュトラウス、マーラー、ブルックナーまで多くの作曲家がこの街で活躍しました。そして19世紀末にはウィーンの芸術家や建築家-グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカ、ヨーゼフ・ホフマン、オットー・ワグナー、アドルフ・ルースらが、古い伝統を払拭し、全く新しく画期的な20世紀の芸術の舞台を創り上げる芸術革命を起こしています。
昼食後自由行動
ご希望の場合はウィーンの森観光などのご案内も致します
◆ 2日目が日曜日になる場合は、午前はホフブルク礼拝堂でのウィーン少年合唱団のミサを鑑賞し、午後半日市内観光になります。
■3日目
ウィーン滞在
アウガルテン宮殿にてウィーン少年合唱団との1日ワークショップ
夜、希望者はオペラ、コンサート等の鑑賞。
■4日目
ウィーン滞在
ハウス・オブ・ミュージックの見学
*ウィーン・フィル博物館見学
*ハイドン・モーツアルト・ベートーヴェン・シューベルトなど大作曲家の部屋の見学
*スクリーン・ディスプレイを使用してウィーン・フィルを指揮
*ニュー・イヤー・コンサートのヴィデオ鑑賞
などハウス・オブ・ミュージックでは様々音楽に関する見学と体験ができます。
又はムジークフェラインかコンツェルトハウスでのリハーサル見学
音楽団体は数多くありますが、ウィーン楽友協会は唯一無二のものです。世界中の音楽を愛する人々の間では、楽友協会こそがウィーンの音楽文化の中心であり、国際的な演奏会の大舞台、そしてクラシック音楽の黄金郷という共通した認識が持たれています。
午後は夜のコンサートのためのリハーサル(約3時間)
夜、ウィーンの合唱団とのジョイント又は合唱団独自のコンサート
■5日目
ウィーン → チェスキークルムロフ → プラハ
朝、専用バスでウィーンを出発、世界遺産の町チェスキークルムロフへ
到着後、昼食と市内小観光。
ユネスコの世界遺産に認定されているチェスキークルムロフは活気に満ちた国際的な街で、豊かな自然に囲まれた独特な雰囲気が醸し出しています。曲がりくねったヴルタヴァ川を跨いで広がる古城に代表されるチェスキークルムロフは、石畳の小道が貴族の家々の間をロマンチックにすり抜けます。ここでは世界的に有名で魅力的な芸術、音楽祭や演奏会、そして舞台を目にすることができます。快適な宿、コーヒーショップ、そして古代酒場は世界各地から足を運ばれる多様な旅人を楽しませています。
夕刻、プラハへ
■6日目
プラハ滞在
午前中、プラハ城、旧市街、聖ヴィート教会、カレル橋など市内半日観光
ここ千年も続くプラハの芸術と建築の大偉業は、ときに激しく政治や宗教と対立してきました。この街が誇るゴシック、バロック、そしてルネッサンス調の建築物の数々は苦しみを耐え健在していますが、これら建物の前の通りや大ホールの前は悲劇の舞台となることが少なくありませんでした。草臥れた丸石は、かつて王が乗った馬のヒヅメの跡を残し、ヒトラーの軍隊のジャックブーツに蹴られ、ソビエト軍のタンカに踏まれ、そして民主革命を起こした学生の足跡を残します。40年続いた共産主義政体を打倒のためプラハの学生たちが立ち上がった1989年11月のビロード革命以来この「百塔の街」は文化的ルネッサンスを享受しています。
昼食後、夜のコンサートのためのリハーサル(約3時間)
夜、プラハの合唱団とのジョイント、又は合唱団独自のコンサート
終了後、お別れの夕食会
■7日目
プラハ出発
朝食後、専用車で空港へ
航空機にてヨーロッパ都市経由一路帰国の途へ
■8日目
日本到着
注)上記の訪問地、旅行日程、期間、内容、コンサート等は過去に実施又は計画された1例です。合唱団の希望で内容の変更は可能ですから、参加決定後ご希望をお伺いした上で正式なスケジュールと旅行代金をご提示させていただきます。